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2022年3月12日 (土)

苦難にも意義がある

あの震災から早いもので11年。

実際に経験した人も、そうでない人も

様々な場所で、様々な思いで、それぞれの11年目を迎えていることでしょう。

今もなお、心に深い傷を負ったままの人も多いと思います。


人生に苦悩を感じた時、私は仏教の中に救いを求めています。


私はもともと仏教を大事にする家庭に育ちましたが、子どもの頃は、その本当の意義を感じる事はできませんでした。

しかし、

大人になり、少しずつ世の中を知り、様々な経験をしていくにつれて、生老病死 四苦八苦 因果応報 諸行無常 縁起など ブッダが説いた教えの数々が、

世に起こる事象や人間の心を、本当に深く考察し表したものだと思えるようになりました。


ブッダが、未だ人類が理解できていない、宇宙を超えたどの領域まで思いを巡らしたのか、のほほんと日々を過ごす私には全く知る由もありませんが。

生きる上で抱える様々な苦悩から逃れる方法を悟り、人々の心に救いの道を論理的に示されたのがブッダなのだと私は思っています。


最近仕事中に聞いているインターネットラジオ ポッドキャストでも、仏教を取り上げる番組が増えているなぁと感じています。

人気番組のコテンラジオで取り上げられた事もあり、それを聞いた多くのリスナーや他のポッドキャスターも、仏教の価値をあらためて認識しされたのではないでしょうか。


本当に世の中の出来事や人の心は諸行無常で、

今どんなに幸せでも、いつ災害や事故などによって人生が一変するかもわかりませんし、

今どんなに優しい心の持ち主でも、家族が突然事故や事件の被害者になれば、加害者に対する憎悪の心が宿ってしまいます。

誰もが生きる環境次第で幸・不幸が起こり、善人にも悪人にもなってしまうのです。


苦しみは無いに越したことはありませんが、そんな人生は到底あり得ません。

そこで私が思うのは、苦しみにも意義があるという事です。


ブッダは生老病死をはじめとした、煩悩が引き起こす心の苦しみの中から、衆生を救う悟りの教えを得ているように、苦しみには次につながる何かしらの意義があると思うのです。


生物が誕生して以来、食物連鎖の過程で喰う喰われるといった行為や、自然環境の変化に対応できないなど、全ての生物は苦痛を伴いながら生きてきたと思います。

その結果として、子孫を残すための進化を繰り返し、今の生物種が生存しています。


ならば、現代に生きる人々が感じる苦痛には、いったいどんな意味があるのでしょう。


戦争による犠牲の先には、相手への憎しみと同時に人の愚かさを知り平和の大切さを思う心が芽生え、

震災や気候変動による苦しみの先には、自然への畏敬の念と助け合いの心、平穏な日常への感謝が生まれます。

辛い仕事があれば、工夫する意識が生まれ、老化や病気からは健康の大事さがわかります。

まさに苦しみがもたらす因果応報です。


そして今この時も、震災被災者や原発事故の被害者、新型ウィルスで闘病されている方、ウクライナやその他の戦火で苦しむ人々、

その他様々な事情で、多かれ少なかれ苦悩している方が無数に存在します。


一昔前までは、こんなに世界中の苦しみを感じ共有する事は出来ませんでしたが、情報網が発達した現代は違います。


世界中で起こる多くの苦しみを知ることが出来る時代だからこそ、その苦しみの意味を考え、自分たちは今何ができるのかを一人ひとりが
考え、行動する事が大切だと思うのです。


今の経済システムが富の奪い合いを招き、戦争が何度も起こるのなら、別の経済の在り方を考えなければなりません。

グローバルになりすぎた社会構造が物の移動を必要以上に増やし、温暖化や気候変動を引き起こしたりウィルスの蔓延を招いているのなら、自然の循環が成り立たない構造を見直し、ローカルでも成り立つ社会を構築しなければならないでしょう。


今起きている様々な苦しみを無駄にしないためにも、3.11を機に少しでも世界の苦しみに思いを巡らし、今ある生活に感謝すると同時に、行き過ぎた欲望を改めた生き方を人類全体で実現できたらいいですね。


私も身の周りで出来る事から、少しでも実行していきたいと思います。

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